TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。
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目次
5.肥料へのこだわり
1.斉藤茶園 からべに の特徴
からべには、1891年に中国湖北省から日本に導入されて育成し1955年に発酵茶用として品種登録されています。「唐から来た紅茶用品種」で唐紅といいます。
ある時、勝弥さんが茶業試験場を訪問した際、当時の場長からからべにの特徴とススメを聞いて、友人から挿穂を手に入れました。
からべには、紅茶生産者の間でも栽培している人が少なく、なかなか手に入らないレアな品種です。
からべにの和紅茶は、濃い水色で若草やカラメルのような多様なかおりがします。口に含むとまろやかな味わいに深い余韻が広がっていきます。
2.斉藤茶園のはじまり
斉藤茶園は、現農主の斉藤勝弥(かつみ)さんで18代目です。
18代よりも前が何代かあったそうですが、以前、古いお屋敷の二階にあった過去帳が火事で全て燃えてしまったため、本当の始まりはよく分かっていないそうです。
勝弥さんが小学生の頃、夜眠る時に御祖母様がよく昔の話をしてくれました。
その時に「先祖は甲州(現在の山梨)武田家に仕えた武士の末裔だ」ということをお話されていたそうで、それだけは今でも覚えています。
燃えてしまったお屋敷の二階には、本山に伝わる伝統行事、お茶壺道中(※)に出すための大きな茶壷もありました。
もしかしたら、古くは徳川の時代からお茶を作り献上していたのかもしれません。
勝弥さんが幼少の頃までは林業を営んでいたそうですが、3代前頃からお茶の実をもらってお茶を育て始めました。
当時は嗜好品というよりは、薬草、薬のようなものとしてお茶を作っていたようです。
(※)江戸時代、茶壷に詰めたお茶をお茶蔵で夏を越し、晩秋に駿府城の徳川家康に茶壺を献上したとされる行事。
3.NHKにも取材された茶草場農法
静岡市の安倍川と藁科川の上流域で生産されたお茶を、本山(ほんやま)茶と呼びます。
本山とは「本家本元」の意味で、およそ800年の歴史を継ぐといわれる日本を代表する伝統銘茶産地です。
本山産地は、高い山と山の間、山に囲まれた谷間に位置しています。湿度が高く、水分が蓄積するため霧が生まれやすい土壌です。
そのため、昼と夜の寒暖差があり、冷やされた空気の中をゆっくりと新芽が成長します。
その結果として、お茶だけに限らず栄養価の高い農産物ができます。
山の奥に入りこんだ産地には、日差しが様々な方向から差し込んできます。
場所によって日照時間が異なるため、摘採の収穫時期がずれるのです。それゆえに、大規模農業が不可能で、大量生産ができません。
2012年12月に放映されたNHK番組「ニッポンの里山」では、勝弥さんも出演しており、農薬を使わない製法で食物連鎖を守っている事、そして生態系を守る茶草場農法についても紹介されました。(2021年9月にも再放送されました。)
茶草場農法とは、茶畑の近くにある草場で刈った草を乾燥させて粉砕し、土に撒くことで自然の保水、保温効果が得られる製法です。
草場の生態系維持にも効果があることが知られ世界農業遺産に認定されています。番組の中では、勝弥さんの奥様が草場でヨモギを積む姿が映っていました。
4.土壌づくり~有機栽培に取り組み始めた理由
勝弥さんは若い頃に、生産者として茶業試験場で土壌づくりを勉強しました。
ある時、先生から「収穫量や早さ、見た目で判断されるものを作るのではなく、目に見えない栄養価を考えながら農産物を作ってはどうか?」と言われました。
お茶だけに限らず、植物は土の中の栄養分を吸収して育っていきます。
土を育てていきなさい、という先生の言葉を受け、就農した22、23歳頃からは常に育土(いくど)という言葉を念頭に置いて、目に見えない部分を大事にしながら農業を行ってきました。
斉藤茶園では、日本で有機食品の検査認証制度である有機JASが始まった2000年当初から、一貫して農薬を使わない栽培を行っています。
就農当初は、見た目の良い茶葉の生産を目指したこともありました。
しかし豊かな自然に囲まれた茶畑で農業を営む中で、農家として自然界とどう関わっていくべきか?ということを考えるようになりました。
斉藤茶園がある葵区西又は水源地に近く、ここから川へと水が降りていきます。
昔は、炊事や洗濯などもすべて河原の水で行っていました。
川の上流に住むものは、水を汚してはならない。その理念により、化学合成された除草剤や害虫駆除剤を使用していません。
どんなに手間暇がかかっても、畑にいる虫が泣くより自分が泣いた方が良い。
茶葉を換金作物としてだけ考えて作るのではなく、虫と一緒に育てていけばいい。
勝弥さんはそう考えています。
自然や体に優しい農業をやっていこう、有機栽培でなければ出せない本当のお茶の美味しさを感じられる茶葉を作ろう。
こうして、勝弥さんは32歳から全面的に有機栽培に取り組み始めました。
5.肥料へのこだわり
就農した頃は、お茶といえば「やぶきた」が主流で、やぶきたじゃないとお茶じゃない、とまで言われていた時代でした。
勝弥さんも最初はやぶきたの苗を育て始めますが、山の向きや畑の場所によって日照時間がすべて異なるため、思ったようには苗が育ってくれません。
そこで、苗から考えるのではなく、その場所に合った土づくりを行うため、肥料を工夫することを始めました。
日照時間の短い場所の土には、窒素の少ないもの、その代わりに微量元素の多い肥料を与える…など、土に合わせて、大豆かす、菜種柏、米ぬか、醤油粕、酒粕、微最元素などの植物性肥料を配合し、土に施肥しています。動物性の肥料は使用していません。
土を育てる=育土を念頭に、勝弥さんは茶の木の特性を最大限に活かすための研究と土づくりに没頭していきました。
6.紅茶作りを始めたきっかけ
土壌の研究を続ける勝弥さんは、十数年前に、海外の紅茶産地の土を分析してもらいました。
日本の茶葉との違いはどこから生まれるのか。土の中にどういう成分が入っていて、それがどうやって茶葉を育てるのか?
分析した結果、カルシウムやマグネシウムなどの塩基が多いことが分かりました。
そこで勝弥さんは、一部の茶畑の肥料を変え、紅茶産地の土と同じ成分になるように創意工夫をしながら土づくりに取り組みました。
数年がかりで狙い通り、土の中の成分が少しずつ紅茶産地の土の成分に近づいてきたのです。
その畑で茶の木を育ててみると、全く成分の違う土なので、緑茶としては通用しない茶葉ができました。この茶葉で紅茶を作ってみてはどうだろう?と考え、紅茶を作り始めることにしました。
紅茶づくりに際しては、TEA FOLKS1でご紹介した丸子紅茶の村松二六さんの協力がありました。
二六さんとは、滋賀の島本微生物工業株式会社という、微生物農法を研究する会社が主催する会員組織「酵素の世界者会員」を通じてご一緒したことをきっかけに、交流が始まりました。
「今年は落葉が早いなぁ」など、他の人とは感覚として必ずしも一致しない自然に関する見方が、村松二六さんとだけは意見が合います。
二六さんは和紅茶の第一人者なので、分からないことがあれば二六さんに聞けば良い、というくらいに厚い信頼を寄せています。
7.あえて弱い品種を残す理由
斉藤茶園では紅茶用の品種として、からべにの他にも、ゆめわかば、しずかおり、勝弥さんが交配させて作ったN-15、N-25(※)などの品種が育てられています。
ゆめわかばは、埼玉の品種です。埼玉の友人から「杉の板が乾燥する時の香りがする」と苗木を分けてもらい増やしました。
紅茶についてはまだ作り始めて間もないため、やってみないと分からない。継続して育てるかどうかは、育ててみた経験から判断しています。
勝弥さんは、育てる茶の木を選ぶ時、あえて虫がつくものや病気にも弱いものを選びます。
例えば自分で交配させて作ったN-25(※)という品種は、もち病に弱い品種です。
(※)数字は一つの芽から育てて25年くらいかかった、という年数を表しています。
それでも、育てる苗は病害虫に弱いものを残します。
茶業試験場から出てくるのもの、一般的に流通している多くの品種はその逆で、病害に強い品種、育てやすい品種はその分収穫量も多くなるので好まれます。
お金を儲けるにはそちらの方が効率が良いはずですが、収穫量や育つ早さは勝弥さんにとっての選考基準にはありません。
「茶畑に行って、見ていないと困るというのが面白い。」と勝弥さんは笑います。
蜂に刺されたりもしますが、それでも害虫駆除剤は使用しません。
手間暇をかけること、どうすれば育つのかを考え試行錯誤すること。
作りにくい品種こそ作りたい、と勝弥さんは考えています。
また、毎年、懇意にしている常滑の茶器作家さんに、その年収穫した茶葉の味わいを伝えて、その味に適した土の配合で茶器を作ってもらっています。
お茶を楽しむところまで手間暇を精一杯かけているところに、勝弥さんのこだわりを感じます。
8.受け継がれる紅茶作り
2020年からは、娘の祐子さんが紅茶づくりの手伝いを始めました。
祐子さん自身はこれまで、父である勝弥さんの作るお茶のことには全く手を出していませんでした。
紅茶は普段から飲むことが多かったのですが、イギリスなどの外国産の茶葉とは違うものだと思っていたそうで、緑茶と同じ茶葉からできていると知って興味を持ちました。
丁度その頃から勝弥さんが紅茶を育て始めたので、何か自分にできることがあればと思いお茶づくりに関わることを決めました。
勝弥さんの作る茶葉を、紅茶としても広めることができたらと考えています。
勝弥さんの農薬を使わないお茶の育て方について、昔は「なんでこんな育て方をしてるの?」と思っていました。
ですが、飲んで頂いた方からの声や、実際の味の違いなどを感じるようになり、長年の勝弥さんの苦労の結果を最近は分かるようになってきました。
祐子さんは、来年から丸子紅茶の村松二六さんに指導頂きながらより深く紅茶を学んでいく予定です。
祐子さん自身、これからの展望についてはまだ分かりませんが、まずは茶葉をちゃんと育てられるように勉強していきたいと思っています。
「父と同じようにできるかは分からないけれど」見よう見まねでやって、やりながら学んでいくしかない、と苦笑い。
勝弥さんも、跡取りだから、ではなく、自分がやりたいと思ったことであれば嬉しい。と笑みがこぼれます。
祐子さんが手がける紅茶工房の「輝(かがやき)」という名前は、3人いる子どもの名前に共通して「輝」が入っているので、そこから付けました。
お子さまと一緒に成長していく、斉藤茶園の新しい紅茶が今から楽しみです。
記事作成担当:牧園 祐也
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