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1. 天の製茶園「うんかい」の特徴
今号では熊本県水俣市の天の製茶園の2023年春摘み「うんかい」をお届けします。
「うんかい」は宮崎県の茶業支場で、1970年に茶農林29号として釜炒り茶用に登録された品種です。
「うんかい」の来歴は、同じく宮崎県の釜炒り茶用登録品種である「たかちほ」とアッサム種及びコーカサス種に由来する「宮F1-9-4-48」の交配によって誕生しました。
また「うんかい」の血を引く品種には「みなみさやか」や「みねかおり」など、香りに特徴のある宮崎系品種が名を連ねます。
今回お届けする「うんかい」は、中程度の発酵具合と火入れによる、程よい火香と華やかさのあるトップノート、品種由来のウッディなニュアンスが特徴的です。
味わいはライトよりのミディアムボディで、旨味は弱く、仄かな甘味と塩味のある余韻が長く続きます。
これからの季節、アイスティーで贅沢にお召し上がりいただくのもおすすめです。
2. 天の製茶園の始まり
天の製茶園は熊本県南端の鹿児島県との県境にある、水俣市石飛地区に位置しています。
名前の由来ともなった、石が飛ぶような強い風が特徴的な風土です。
この地区は水俣茶発祥の地と言われており、およそ90年前の大正期にアメリカで農業を学んだ南畝正之助が帰国した後に、この土地で茶畑を切り開いたのがきっかけとなりました。
南畝正之助はアメリカへ渡ると、現地の機械化された農法を目の当たりにして、その先進性に感銘を受けるとともに、やがて日本の農業も機械化されていくことを見越していました。
そのため正之助はこの土地に茶の種を植え、機械を用いて経営する大規模茶園の開拓を試みたのです。
しかしながら、開拓から何十年も待たずに日本は太平洋戦争へ突入します。
戦争を要因として茶畑は放棄され、管理者が再び現れるまでに暫くの時間を必要としました。
戦争が終結すると、石飛地区には新たな開拓団が日本各地から集まります。
三代目である現園主の天野浩さんの、お祖父様がこの土地に足を踏み入れたのもこの時期になります。
標高600mもあり九州南部にも関わらず冷涼な気候のこの土地で、初めて入植した浩さんのお祖父様は、一体どのような作物を育てるか悩んでいました。
その時、かつて正之助が残した在来茶園を発見したお祖父様は、それを再利用して茶業に従事する決意をしたことが天の製茶園の始まりです。
3. 正之助が残した在来古樹茶園
正之助が大正期に開拓した茶畑は、先の大戦期間中に放棄され、すっかり荒れ果てた姿になっていました。
しかし種から芽生え、成長した在来古樹は地に深く真っ直ぐな根を張り、この土地の養分をしっかりと蓄え、朽ち果てることなくその姿を残していました。
通常チャノキを新しく植える際には、品種の苗木や挿し木を用いて、均質な畑を作ります。
一方で種から発芽したものは、その正確な来歴はわからないため、実生や在来と呼ばれ、木の一本一本が異なる品質で育ちます。
品種園は一定の品質や収量の確保を見込める反面、特定の病気や自然災害に曝されてしまうと全滅するおそれがあるため、複数の品種を植えることでリスクの分散をします。
在来園では木の一本一本で個性が異なるため、品種ほど整ったものにするのは難しいですが、その土地ならではの個性を楽しむことができます。
また、種から育ったチャノキは直根といい、地下に向かって深く真っ直ぐと根を伸ばすことも特徴的です。
浩さんのお祖父様は茶畑を整えると、この在来を用いたお茶作りを早速開始しました。
4. 有機茶業への取り組み
浩さんのお祖父様は戦後の開拓団としてこの土地に入植して、茶畑を再生しました。
その後二代目である父の茂さんが畑を引き継ぐと、この土地本来の風土を活かすために慣行農法をやめて、農薬不使用の有機栽培へ切り替えていきました。
農薬や化学肥料を使用しない有機栽培ではチャノキを手入れする手間が大幅に膨らみますが、土質が非常に豊かな天の製茶園では、高品質なお茶の木が健やかに育ちます。
しかしこの土地は標高が600mと高く、霧も発生するほどに冷涼な気候なので、新芽の芽吹く季節が遅く、残念なことに新茶の価格はそれほど高くつきません。
したがって、家族経営で運営するのであれば、手間をかけてでも有機栽培に取り組む方が経済的な負担は減るのではないかと考えられます。
5. 紅茶づくりと新たな挑戦
天の製茶園では、新茶を摘める時期が遅れるため、新茶価格が上がりづらく、農薬や化学肥料まで用いるとなると、そこから生まれる利潤はわずかなものとなってしまいます。
これらの諸問題を解決する手段の一つとして、約30年前から紅茶づくりを開始しました。
当時は試行錯誤の繰り返しであり、様々なことに挑戦したそうです。
次第に方向性がまとまってくると、海外産とは異なる、和紅茶ならではの、優しい味わいを追求しました。
こうして完成した紅茶が、強い焙煎を施すことで香ばしさと濃厚な甘味を両立させた「天の紅茶」でした。
周囲からは「これは紅茶ではない。」など心ないことを言われることもあったものの、自分たちの個性として捉えて「天の紅茶」と名付けたそうです。
そして現在、天の製茶園では新たなブランドとして「森と種とお茶」を展開し、「天の紅茶」とは異なる、土地と品種のキャラクターを存分に活かした紅茶づくりにも取り組んでいます。
新茶の時期を遅らせる冷涼な気候は、紅茶を作る際に良い香りを発現させるための好ましい作用として働きます。
また施肥を抑えることで萎凋や発酵時の香りが伸びやすくなり、この土地の持つ土壌本来の力を遺憾なく発揮することができます。
南畝正之助が残した畑を再生させた祖父から父への系譜を、浩さんは大切に思い、丁寧な紅茶づくりを手掛けます。
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