TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。
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目次
1.和束紅茶「ファーストタッチ2022」の特徴
2.京都和束紅茶のはじまり
3.家業を継ぐためらい
4.お茶づくりと向き合う決心
5.山二園での住み込み研修
6.紅茶が茶園の大黒柱に
7.有機栽培へのチャレンジ
8.和束のクラフト紅茶として
1.和束紅茶「ファーストタッチ2022」の特徴

和束紅茶ではその年最初に摘採したお茶を「ファーストタッチ」と呼んで商品化しています。2022年の「ファーストタッチ」は4月26日に摘採した「まれ」と名付けているオリジナル品種です。
「まれ」は、茶業試験場で育苗されていた緑茶用の早生品種で、品種登録されなかったものを喜壽さんが1992年頃譲り受けて自園で育ててきました。
緑茶用品種ですが、”稀”にみる紅茶のセンスがあることを発見したため、和束紅茶では「まれ」と名付けてオリジナル商品にしています。
黒艶のある小さめの茶葉で、湯を注いだ時から海苔のような甘い香りが漂います。滑らかな舌触りが特徴です。

2.京都和束紅茶のはじまり
和束町(わづかちょう)は、京都府の南に位置する町です。
標高300m程の山間部にお茶畑が広がっており、昼夜の寒暖差があり霧が立ち込めやすく、豊かな土壌と相まって美味しい茶葉生育に適した環境です。
そのため、鎌倉時代から宇治茶生産の中心地で、およそ4割がこの和束で作られているそうです。
段々畑の茶園が広がる美しい景観から、桃源郷ならぬ茶源郷と呼ばれており、2008年1月には 「京都府景観資産」制度の第1号として登録されました。
京都和束紅茶は、1945年に喜寿園として創業し、2013年に株式会社として登記されています。
喜壽さんは5代目で、3代前のお祖父さんの代から自園でお茶づくりを行っています。
初代はお茶を作っておらず、和束に保有していた山は松茸が育つ山だったので、その松茸を売って商いを行っていたそうです。
明治の頃に2代目が小豆相場で失敗したのを契機に、その後、お茶を作り始め、売ったお金で山を買い、また新しい茶の苗を植えて…という形で茶畑を増やしていったそうです。
現園主の喜壽さんが紅茶を作り始めたのは、2009年からです。まだ和紅茶が売り物になるのかどうか分からないような頃でした。
和紅茶をつくるにあたっては、様々な生産者の作り方を参考にし、2011年に初めて丸子紅茶の松村二六さんのところに紅茶のサンプルを持って行き評価頂いたのだそうです。
試行錯誤を繰り返し、紅茶に“和束”と付け「和束紅茶」と命名し、地名を付ける重荷を自ら背負いました。
「煎茶のブランド産地であった和束に、新しい風を起こしたい。」そんな決意を胸に、喜壽さんは和束紅茶ブランドを作っていこうとしています。

3.家業を継ぐためらい
喜壽さんが生まれた時から、すでに家業としてお茶作りを行っていましたが、喜壽さんは家業を継ぐことは考えていなかったそうです。
お父さんが5人兄弟で、お姉さんは嫁ぎ、弟は分家として家を出ていたので、お父さんと叔父さん、そしてお祖父さんの3人で茶づくりを行っていました。
当時はお祖父さんが何をするかを全て決め、お父さんや叔父さんはお祖父さんの言うことを聞いて働くという封建的な空気がありました。
家族で一緒に夜ご飯を食べていましたが、その時にはやはりお茶の話、茶畑の話、商売の話になります。
経営が良い時もあれば悪い時もあり、そんな時の場の雰囲気は、子供ながらにあまり心地の良いものではありませんでした。
また、長男だからという理由で「跡継ぎでお茶をせんな(しなきゃ)」とずっと言われていたことにも、喜壽さんは自由のなさ、劣等感のようなものを感じていました。

4.お茶づくりと向き合う決心
その後、喜壽さんは近畿大学の農学部に進学します。卒業を控えた喜壽さんは、シュークリームで有名な大手食品会社と、信用金庫の2社から内定をもらっていました。
当時はバイオテクノロジーという言葉が流行り出した頃。食品会社からは「入社したら研究室の方に行ってくれ」と言われていました。
研究が嫌いではありませんでしたが、農学部でもずっと研究を行っていたため、「またかよ」というのが正直な気持ちでした。それならいっそ畑違いの仕事の方に、ということで、喜壽さんは信用金庫への就職を選びました。
入社してから二年ほど経って、仕事にも慣れてきた頃、喜壽さんは京都府木津川市にある、山城町棚倉という町に営業に行きました。筍とお茶を作っている農村です。
住んでいる人たちは比較的高齢で、両親で農業を行っているけれど、同居している子どもは企業に務めている、という農業離れの家庭が多くありました。そんなお家に営業に行って聞くのは、高齢の方の愚痴です。
昔は筍もお茶も良かった、けれどいまはあかん、と。息子は会社に勤めているから「もう何年かしたら農業辞めるねん。」と言われました。
それを聞きながら、喜壽さんはふと、自分も同じことをしてるじゃないか、と思いました。
信用金庫に入社して、ゆくゆくは支店長になろうとも思っていました。でも、これで良いのだろうか?
それから、喜壽さんは悶々とした日々を過ごしました。年長者が決めた通りに働く自家農業のスタイルには不満がありましたし、幼い頃から家業に感じていた劣等感も拭えずにいました。
けれど、もう一度家業と向き合い、お茶を作ってみようか。そう思い至った喜壽さんは、お茶づくりに専念することを決め、1年後にサラリーマンを辞めました。

5.山二園での住み込み研修
それから喜壽さんは、静岡県沼津市にある、山二園の後藤義博さんの元を訪ねました。
山二園は沼津の住宅地にあり、室温だけでなく地温も管理できる多目的オープンハウスでの栽培が特徴の茶園です。
後藤さんは、全国茶品評会で毎年上位に入賞し、農林水産大臣賞も受賞している茶農家で、
静岡県の茶業試験場の研修生を自園で受け入れることも行っていました。
喜壽さんは人づてに後藤さんを紹介してもらい、サラリーマン上がりだけれど研修させてもらえないかと伝え、受け入れてもらうことができました。それから10か月ほど山二園に住み込み、後藤さんから茶業を学びました。
喜壽さんが研修に行った当時は、1990年のバブルの終わりくらいの時。今よりもお茶が売れていた時代です。
山二園では、自園でお茶の製造から販売までを行っていました。手摘みを手伝いにきてくれた人が、美味しいからと買って帰り、親戚に渡すなどして、お茶摘みさんが宣伝もしてくれていました。
喜壽さんのところは、販売は市場に頼っていました。美味しいお茶は、人から人へと伝えられていく。その様子を見て、自分たちも製造から販売までをしないといけないと感じました。
その教訓から、後に喜壽さんは自園に工場を作り、製造から販売までを行うようになりました。
研修から帰ってきて、次々と新しいことを始めた喜壽さんですが、その時はお父さんが事業主、喜壽さんは専従者という立場。必ずしも方向性が一致するということはなかったそうです。
それでも、喜壽さんは自分のお茶作りのスタイルを追求することをやめませんでした。

6. 紅茶が茶園の大黒柱に
京都和束紅茶では、やぶきた、おくみどり、べにふうき、在来種などを栽培しており、和紅茶はファーストフラッシュ、セカンドフラッシュ、オータムフラッシュを作っています。
2019年までは、緑茶(煎茶)が4割、碾茶(抹茶の原料)が4割、紅茶が2割という生産割合でした。ですが、2021年は緑茶の生産量が下がりました。今では、緑茶の生産量が半分以下にまで下がっているそうです。
その理由の一つが、気候変動の影響です。
以前は100kg程は収穫できた畑でも、80kg、70kgと段々と収穫量が減っています。単価は同じだけれど、原材料費が上がってしまっているため、相対的に緑茶の利益が下がっているのです。
機械を入れ替えたりお金をかけてもきましたが、今は煎茶の値段が上がりません。
また2021年は大規模な霜害に遭い、お茶の新芽の多くが焼けてしまいました。30年茶業に携わって、1番の被害だったそうです。
紅茶はというと、逆に2021年は過去最高の紅茶製造量となりました。得意先からセカンドフラッシュが欲しいと言われたこともあり、セカンドフラッシュを多く作りました。結果として売上的には緑茶と逆転したそうです。
コロナの影響もあり、2020年は先行きが見えず一時は減産した紅茶でしたが、今はその紅茶が茶業経営の大黒柱になりました。

7.有機栽培へのチャレンジ
京都和束紅茶では有機栽培仲間との勉強会で得た栽培法を積極的に取り入れています。
気候変動の影響による茶葉の収穫量減などを経験し、茶農家として、茶畑だけでなく周囲の自然環境との繋がりを意識するようになりました。お客様にも、安心、安全で美味しい紅茶を届けたいという思いもあります。
昨年は、2020年産の京都和束紅茶の2銘柄を、国内よりも基準の厳しいeurofins(ユーロフィン)で検査を行いました。結果は、成分600項目の内、3個の項目が検出されましたが、EU圏基準以下のレベルでした。
将来的にはオーガニック認証を取得し、グローバルな商品流通にもチャレンジしたいと考えています。
喜壽さんは、お茶を栽培すること、茶の芽を育てるということは、子どもを育てることと同じと考えています。茶の木の環境を人の環境に置き換え、自社の風合いを大切にしたお茶づくりを追求し続けてています。

8.和束のクラフト紅茶として
2021年はコロナの影響もあり、イベントなども軒並み中止となり、思ったように上手く得意先が作れず空回りしていたといいます。
それでも、コロナ禍2年目の不安があった中で、取引先の飲食業界の方、お茶を飲んでくださっているお客様からは変わらないご贔屓を頂くことができました。
2022年の抱負としては、手づくりを組み込んだ製法で、より多く製造できる工夫を取り入れること。また、オーガニック栽培を工夫しながら続けることを掲げています。
現在では、環境や嗜好の変化により、お茶に求める機能性が世界的に変わってきています。
日本の茶農家として、この和束から世界に向けて有機のお茶を発信し広めていきたいと考えています。
多くのお茶のイベントが中止になりましたが、オンラインでお茶会を行うなど、今だからこそできる取り組みも積極的に行い、作り手、淹れ手、そしてお客様との繋がりを作ることができています。
夢見る紅茶びと 京都和束紅茶
喜壽さんが自園の紅茶につけたタイトルです。
京都の風土、食文化で育まれる個性豊かなクラフト紅茶として、オリジナルブランド京都和束紅茶は成長を続けます。

記事作成担当:牧園
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