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News & Blog

  • 執筆者の写真TOKYO TEA BLENDERS

Shizuoka BlackTea Prideの展開について

更新日:2023年9月26日

Shizuoka BlackTea Prideとは


Shizuoka BlackTea Prideは静岡の和紅茶で著名な茶農家8軒とTOKYO TEA BLENDERS LLCが2023年に立ち上げたコラボレーション企画です。静岡県お茶振興課による令和5年度ChaOIプロジェクト推進事業として支援を頂いています。

和紅茶はお茶愛好家の間では一定の認知を得られるようになってきましたが、日本国内においても飲食店等で有料提供できる高品質なお茶として高いポテンシャルは未だ開花できていません。また、海外の品評会で和紅茶が世界一を獲得するなど評価が高まっているいま、海外への和紅茶のPRを積極化させるチャンスだと考えています。本企画の基本的なアクティビティは、国内・海外の各所に生産者が直接赴き、レストラン経営者や海外茶商に試飲してもらいながらコミュニケーションを通じて繋がりを構築する草の根的なアプローチを予定しています。


活動予定

<海外>

11月10(金)-12(日)ロンドン

11月14(火)-15(水)パリ

11月17(金)-19(日)ベルリン

Shizuoka BlackTea Pride参加茶園のうち益井園・カネロク松本園・釜炒り茶柴本の園主とともに、TOKYO TEA BLENDERS代表が様々な和紅茶や緑茶を持って現地訪問します。各地ではスペースをお借りして商談会、ワークショップなどを実施する予定です。


<国内>

12月1日(金)名古屋

1月19日(金)大阪

2月23日(金)東京


今後の予定はTOKYO TEA BLENDERSのホームページ及びSNSにて随時発表致します。


和紅茶とは


和紅茶とは日本で生産される紅茶のことです。明治維新後の日本の主要輸出産物であった絹と茶は、新政府にとって外貨獲得のための重要な産物でした。欧米各国の需要に合わせて紅茶の国内生産に目を向けた新政府は、1874年に旧幕府の重臣であった多田元吉に清国、及びインドへの視察を命じました。多田が持ち帰った技術と品種をもとに、国産紅茶産業は紆余曲折を経ながら現在まで続いています。日本の茶は1000年以上の歴史を土台に、現在まで品種改良が行われ、その数100を超えることが他国の紅茶産業と大きく異なる点です。北は秋田から南は沖縄まで多様な気候、多様な品種に支えられた日本の紅茶産業は世界の茶産地の中でも特異点と言えるでしょう。


TOKYO TEA BLENDERS LLCとは


TOKYO TEA BLENDERS LLCは2018年に創業し、2021年からは「和紅茶を日本の生活文化に。世界へ発信する」ことをテーマとした和紅茶の定期便サービスTEA FOLKSを展開しています。TEA FOLKSでは農薬不使用の生産者を中心として、2ヶ月に一度2茶園分の和紅茶と、その生産者へのインタビューに基づいたニュースレター、ポストカードをお届けしています。


2023年8月までに14回28種類の和紅茶と24の茶園を紹介してきました。


弊社は英国ロンドンで開催されるTHE LEAFIESへの代理出品や、地紅茶学会役員としても和紅茶及び地紅茶の普及に努め、また静岡県の茶業者などが集まるプラットフォーム、ChaOIフォーラムと協力し、新品種緑茶に関するイベントなども開催しています。


Shizuoka BlackTea Pride参加生産者(アルファベット順)


駄農園


駄農園は初代園主、高塚吾郎さんによって牧之原台地で始まりました。吾郎さんは牧之原台地の土地に合った品種を見つけようと、経営そっちのけで研究を行い、最大で50以上もの品種を栽培していたこともありました。この時、友人の茶農家から「駄農家」と呼ばれることもあったものの、その名を気に入ったのが、現在の茶園名の由来となります。その後、2代目の高塚孝さんの跡を継いだのが現園主の高塚貞夫さんです。貞夫さんは祖父、父ともに香りのするお茶が好きだったこともあり、かつてから趣味程度に作っていた釜炒り茶や紅茶を本格的に商品化させました。駄農園では栽培から製品化だけでなく、商品パッケージのデザインも高塚夫妻の娘さんが手掛けており、家族一体となって自社製造を行っています。駄農園は特に品種選抜過程で世に出ることがなかった希少品種も残していて、これらの希少品種がある事も、初代の研究熱心な姿勢があったからこそだと思われます。


井村園


井村園は牧之原台地北端で150年以上お茶を作り続けています。井村園のある辺りは「間の宿 菊川」という江戸時代に整備された基幹道の一つ、旧東海道の宿場跡で、かつては多くの人が江戸へ向かう為にこの道を行き交いました。元来、この地域は深蒸しの緑茶生産が盛んな地域で、井村園もその例外ではありません。井村園の茶畑はこの牧之原台地の斜面に位置しており、朝夕の寒暖差が大きく、雨が降れば霧も立ち込めます。このような気候はお茶の生育に適しており、特に井村園の深蒸し茶や紅茶のように香りを重視するお茶に良い作用をもたらします。同園の代表的な商品として知られる「ももか」は、日本を代表する紅茶品種「べにふうき」を用いて作られており、品種の持つ香りのポテンシャルを最大限に引き出しつつも、紅茶らしい渋みを湛えたフルボディの味わいで、どのようなシーンにも適応する為、日本の紅茶ファンの間でとても親しまれています。


釜炒り茶 柴本


釜炒り茶柴本は、日本有数の晴天率を誇る静岡県牧之原市にあります。深蒸し茶の生産が盛んなこの地域では大変珍しい、釜炒り茶の生産を行なっている事で有名です。同園の3代目園主を務める柴本俊史さんは高校生の頃に釜炒り茶と出会い、釜炒り茶の生産が盛んな宮崎県や熊本県の茶農家を視察したり、住み込み研修で技術を磨きました。自園に戻った柴本氏は釜炒り茶の製造販売を行うようになり、次第に烏龍茶や紅茶の製造にも取り組むようになりました。柴本さんの考えによると、紅茶のような酸化発酵をした茶は熟成させる事により、味と香りの一体感が生まれます。それを焙煎することにより、粗い部分が削り取られ、より洗練された香りの紅茶になるのです。柴本さんは他にもヤギを使ったユニークな栽培方法で知られています。農薬肥料の不使用栽培に関心を寄せた柴本氏は学生時代にその分野についての研究を行い、必要以上に施肥を行なっても茶の木が栄養を吸収する事はないと確認していました。その為、釜炒り茶柴本では農薬肥料を与えずに、ヤギに雑草を食べさせ、その堆肥を用いる事で茶畑内の環境を循環させる持続可能な農法に取り組んでいます。


カネロク松本園


カネロク松本園は牧之原台地に茶畑を切り拓いた武士の家系で、明治時代から茶業に従事しています。カネロクのロクは祖父の毅禄さんの「禄」に由来し、仏教に於いては「天恵」を意味します。現園主の浩毅さんは大学でお茶や土壌、肥料について学び、2003年に就農しました。同園では世界農業遺産に認定された茶草場農法を行っており、持続可能な茶栽培を昔から取り込んでいました。また先代までは栽培したお茶を卸すまでを生業にしていたものの、浩毅さんの代からは販売までを手掛けるようになりました。さらに、浩毅さんは他の茶園との差別化の必要性を感じて改めて商品開発に注力します。その過程で中国の燻香が特徴的な正山小種に感銘を受けた浩毅さんは、国産初の燻製茶で世界中に他にない、オリジナル商品の開発を試みました。今では同園を代表するウィスキー樽の他にも檜や桜など、日本らしさを感じられる燻製茶が国内外問わず人気を博しています。


牧之原山本園


牧之原は幕末期に江戸から来た侍たちによって開拓された茶山地です。牧之原山本園の歴史も侍開拓団にあり、同家のご先祖様は代々徳川家の御殿医を勤めていました。同園の初代にあたる山本惟鎮さんは徳川家最後の将軍、徳川慶喜公の護衛を務める精鋭隊の1人として牧之原にやってきました。その後、この土地の開墾に苦労しながらも茶畑を切り開き、現在に至ります。5代目になる現園主の山本守日瑚さんは先祖代々続く深蒸し茶の製造の他に、紅茶や烏龍茶の製造にも取り組んでいます。2009年から紅茶作りを始めた同園では、製茶に工夫を加えて工程を複雑化する事で、より香りの優れた「ほうじ香り紅茶」を作っています。工夫の一つが萎凋時の攪拌、そしてもう一つが焙煎です。攪拌工程を加える事で香りが豊かになり、焙煎の熱によって茶に含まれる成分に変化を引き起こすことで、果実のような香りと甘味を引き出すことを可能にするのです。上記の方法で作られる、国産の紅茶用品種「べにふうき」や、台湾系の品種を用いた「あかね」などの同園の紅茶は国内のコンクールでも数多くの賞を獲得しています。


丸子紅茶


園主の村松二六さんは和紅茶産業復興の立役者として知られています。村松さんの生家近くには国産紅茶の父、多田元吉の墓があり、紅茶の存在を身近に感じながら幼少期を過ごしました。中学校卒業と同時に茶業の世界に足を踏み入れた村松さんは紅茶の製造についても学んでいましたが、1971年に紅茶の輸入自由化により紅茶製造は停止していました。しかし、あるとき多田元吉がインドから持ち帰った茶の原木が刈られる話があがり、それを何とか阻止した村松さんは、改めて和紅茶の製造に取り組み、普及させる事を決意します。それから暫くすると、鹿児島にある茶業研究所で最新の紅茶品種「べにふうき」が開発され、いち早く苗木を手にした村松さんは民間で初めて栽培に成功しました。村松さんの作る「べにふうき」はスリランカやインドの紅茶のように力強い味わいと甘い香りを発することが特徴的です。その後「べにふうき」の普及と共に和紅茶の可能性が拡大するに連れて、村松さんはこの産業の立役者として知られるようになりました。


マルヒ製茶


鈴木英之さんが代表を務めるマルヒ製茶は、代表の祖父、博さんが戦後に茶畑の広がる磐田原台地に製茶工場を建てた事が始まりです。この時、工場についた屋号、「マルヒ」がそのまま茶園名となっています。英之さんは香りの立つお茶に関心があり、2013年頃から我流で烏龍茶作りを行なっていました。その後、自分の知識とスキルに限界を感じた英之さんは高品質な和紅茶を作る生産者グループと接触し、研修として台湾や中国で製茶法を学びました。何より香りの立つお茶が好きな英之さんは、帰国後に学んだ技術を活かして、烏龍茶だけでなく、紅茶作りも始めます。その工程で特徴となるのは萎凋中の撹拌で、葉痛みとならない程度を見極めて茶葉をかき混ぜます。こうする事で、マルヒ製茶の香り高い紅茶が作られているのです。また英之さんは茶器愛好家としても知られており、多数のコレクションを保有しています。形だけでなく、土質にも拘った茶器は茶葉の持つポテンシャルを最大限に活かして抽出できるそうです。


益井園


益井悦郎さんが経営する益井園は大井川上流の川根本町にある山間地に所在し、江戸末期から代々続く茶園です。日本の茶農家としては珍しい異色の海外経験を持つ益井さんは、国内やアメリカで大規模農業経営を学び、その実践のためにJICAの活動に参加してセネガルへ渡りました。旧フランス領でみたワインのブランディング手法に大いに刺激をうけたといいます。帰国後は実家の茶業を継いで、益井園としてシングルオリジンを意識しながら、農薬不使用栽培、及び紅茶作りにも取り組みました。当時は資料が不足しており、旧字体で書かれたものを頼りに紅茶作りに励みました。そんな試行錯誤の末に5シーズン目から漸く品質が安定してきたそうです。その中で、益井さんは茶葉の摘採から製造、パッケージデザイン、販売までを一人でこなす「おひとりさま農業」を確立しました。現在では、初期の頃から和紅茶を作る農家として知られ、海外からの愛好家も訪れる茶園となっています。


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