top of page
10-35-2921-02-21IMG_9400.jpg

News & Blog

怜玢
  • 執筆者の写真TOKYO TEA BLENDERS

TEA FOLKS9 宮茶房 宮亮さんのご玹介

曎新日2023幎2月19日

TEA FOLKSティヌフォルクスは2カ月に䞀床、2茶園のプレミアム和玅茶を茶園のストヌリヌずずもにお届けする定期䟿サヌビスです。

定期䟿䟡栌で最新版をご垌望の方はこちらからお申蟌みください。

各䟿のバックナンバヌ及び個別の茶葉単䜓販売も行っおいたす。圚庫次第ずなりたす

目次


1. 宮茶房 「たかちほ」の特城

たかちほは旧系統名を宮9号ずいい、圚来皮を来歎ずしたす。

宮厎県の茶業詊隓堎で育成され、釜炒り茶甚品皮ずしお1953幎に茶蟲林11号に登録されたした。


その特城は䞀般に葉は肉厚で倧きく、ハヌバルで独特な銙気を有しおいるず蚀われおおり、倧葉皮にも䌌た特城が芋られたす。


今回お送りする宮茶房さんの「たかちほ」を䜿甚しお䜜られた玅茶は、冷たくおもしっかりずした甘みずフルヌティヌさが感じられる䞀品ずなっおいたす。

2. 宮茶房の始たり


宮茶房は珟園䞻・宮亮みやざき あきらさんのひいおじいさんが宮厎県西臌杵郡の五ヶ瀬町で昭和の初期に創業したした。


この地は高千穂や日之圱同様に䌝統的に釜炒り緑茶の名産地であり、ひいおじいさんはお茶を皮から育お始めたそうです。


初めの頃の補茶工堎は他の蟲家さんたちず共同のものであったそうですが、やがお自らの蟲園に工堎を建お、完党な自家補造を始めたす。


創業圓初の宮茶房はタバコや牛、シむタケなども栜培する耇合蟲家でした。

お米も少し手掛けおいたこずもあったようですが、五ヶ瀬のあたりは内陞ずいうこずもあり、氎が少ないため䞻力䜜物ずなるこずはなかったようです。


たた、珟圚の瀟名である「宮茶房」は2007幎の株匏䌚瀟化に䌎い倉曎されたもので、それ以前は「宮補茶」ずいう名前でした。

亮さんのお父さんが園䞻の頃、宮茶房に倧きな転機が蚪れたす。


亮さんのお父さんが䜜物をお茶かタバコに絞っお䞀本化しようず考えた時、お父さん自身がタバコ嫌いであったこず、そしおお母さんの匷い埌抌しもあり、お茶栜培に専念するこずになりたした。


さらに、亮さんのご䞡芪は1983幎頃から栜培方法を完党にオヌガニックぞず切り替えたす。

圓時はお茶に限らずオヌガニックに挑戊する蟲家など殆ど皆無であったこずもあり、䜕より同業の方からの理解も埗られにくかったようです。


それでもオヌガニックに切り替えたのは、亮さんのお母さんの匷い信念があったからです。

これにはお母さんのご友人が蟲薬事故に遭われたこずや、お母さん自身が蟲薬散垃をする際にかぶれおしたうなどの健康被害にあったこずが倧きな芁因ずなりたした。


オヌガニックに察する理解が進んでいなかった圓時、オヌガニックがりリにはならなかったため、新たな商品開発にも積極的に取り組みたした。


1998幎頃からは和玅茶の補造に乗り出したす。

このほかにも烏韍茶やフレヌバヌドティヌなどにも挑戊し、そのバリ゚ヌションは豊富です。


たた、「宮補茶」時代の2001幎には正匏に有機JASの認定を取埗したす。


お茶づくりに関しお地道な努力を重ね続けた結果、2002幎には蟲林氎産祭で「倩皇杯」を、翌幎は党日本茶品評䌚で「蟲林氎産倧臣賞」、2006幎には九州茶品評䌚で「蟲林氎産倧臣賞」、2013幎には英囜グレヌテストアワヌドで「金賞」を受賞したす。


さらには日本茶Awards 2014で「日本茶倧賞特別賞」ず「プラチナ章」を同時受賞、2016幎の党日本茶品評䌚で二床目の「蟲林氎産倧臣賞」、昚幎2021幎には「日本蟲業賞」や囜産玅茶グランプリのチャレンゞ分門でグランプリ受賞など茝かしい実瞟が挙げられたす。

3. 宮亮さんの就蟲


珟園䞻である亮さんは初めから就蟲する意思があったわけではないず蚀いたす。

高校卒業埌は宮厎倧孊の蟲孊郚に進孊したすが、圓時は卒業埌の進路は公務員になる぀もりでした。


しかし、実際に倧孊で孊び始めるず蟲業に匷い関心が生たれたそうです。

圚孊時に亮さんが行っおいた花の開花実隓では䞎える肥料によっお花の開花時期が倧きく倉わるそうで、このような実隓が亮さんを惹き぀け、蟲業の面癜さを改めお発芋する機䌚ずなりたした。


たた、孊生時代のアルバむト経隓から䌚瀟勀務は合わず、自営業のほうが向いおいるず感じおいたこずも就蟲の芁因ずなりたした。


バブル景気真只䞭の卒業時、300人以䞊の同玚生がいる䞭で就蟲の道を遞んだのは宮さん含め2人しかいなかったそうですが、この決断があったからこそ今の宮茶房があり、和玅茶文化の発展に぀ながったのだず蚀えたす。

90幎代初めに倧孊を卒業し、就蟲するず、亮さんはご䞡芪が始めたばかりのお茶のオヌガニック栜培ずその営業に努めるこずになりたす。


オヌガニック栜培をするにあたっお、土壌から蟲薬を抜くこずが䜕よりも倧倉でした。

しかし、土壌から蟲薬が抜け、オヌガニックに切り替わっおも難題はいく぀も立ちはだかりたす。


オヌガニックに切り替わるずいうこずは、以前よりも圓然病害虫に匱くなり、それだけ収穫量も枛産したす。「隣の畑は綺麗なのに自分の所はボロボロだった。」ず亮さんは圓時を振り返りたす。

これらを克服するために埌述する品皮王ずしおの道が切り開かれおいきたす。

たた、圓時はオヌガニック栜培を行っおいる蟲家など殆どいなかったため、無蟲薬では商品の品質も悪くなるずいう誀解が蔓延しおいたした。


このこずで、1990幎代には圓時最倧の取匕先だった問屋ずの契玄が切られおしたい、新たな取匕先を芋぀けるために営業に努めるこずになりたす。


圓時は茶䟡も高く、䜜れば売れる時代だったそうなので、劂䜕にオヌガニックが理解されおいなかったのか想像に難くありたせん。

新しい営業先ずしおは土産物屋さんや、五ヶ瀬の盎売所、米屋、宮厎県内や熊本県内のスヌパヌマヌケットなどがありたした。


この時、亮さんは県の壁を感じたず蚀いたす。宮厎県内では五ヶ瀬ずいえばお茶所ずしお知られおいたすが、隣県熊本では矢郚や球磚などの茶産地があるため、五ヶ瀬ずいっおも認知されなかったそうです。


しかし、玅茶や烏韍茶ぞの挑戊やむベント出展なども積極的に行うず、いろいろな所から声がかかるようになっおいっおいきたした。

宮茶房の園䞻がお父さんの代から亮さんぞ正匏に匕き継がれたのは、亮さんが就蟲しおから15幎ほどたっおからのこずですが、それたでの間もご䞡芪は亮さんの奜きなようにやらせおくれおいたずいい、実質的な園䞻の圹割を果たしおいたした。


ご䞡芪の方針通り、亮さんは自分の奜きなように経営し、就蟲時にはヘクタヌルだった茶園面積も珟圚では14ヘクタヌルたで拡匵しおいたす。


これはおよそ東京ドヌム3個分の広さにあたり、2020幎床における個人経営の平均的な茶園面積が日本トップの鹿児島県でも3.6ヘクタヌルであるこずを考えるず、宮茶房がいかに広いのか理解できるず思いたす。


4. 和玅茶ぞの挑戊ず品皮王


早期からオヌガニック栜培に切り替えたものの、宮茶房の前には倚くの困難が立ちはだかっおいたした。

䞀぀目の困難は前章で觊れたオヌガニック栜培に察する呚囲の偏芋ず誀解です。


オヌガニックに察する理解がなかった圓時、他ず同じように釜炒り茶を䜜っおも競争に勝おないため、新たな販路を䜜り出すために他がやっおいないこずをやろうず考えた亮さんはテレビ番組で芋た烏韍茶の぀くり方を参考にしお、翌朝自瀟で烏韍茶䜜りに励みたす。


この時の烏韍茶の出来がかなり良く、その埌も継続的に補造するこずになりたした。

たた、玅茶も比范的早い段階から䜜り始めたす。そのきっかけは宮厎県に隣接する地域であり䌝統的な茶産地でもある熊本・矢郚の和玅茶を飲んだ時に「すげえ矎味しい」ず思ったこずだず亮さんは蚀いたす。


誰かに盎接玅茶づくりを教わったこずのない亮さんは、むンタヌネットで埗られる情報を参考に、1998幎頃から本栌的に玅茶づくりにも乗り出し、以埌毎幎補造しおいたす。

囜産の玅茶や烏韍茶を䜜り始めた頃はただあたり知られおいなかったため、地玅茶サミットや吉田山倧茶䌚、ゞャパンティヌフェスティバルなどのむベントにも積極的に出展しおきたした。

五ヶ瀬は暙高が高く寒冷な気候であるため、緑茶においお最も䟡栌の高くなる䞀番茶の時期が䜎地よりも必然的に遅れ、他産地よりも卞䟡栌が䜎くなりがちです。


そのため、もずから自分たちでお茶を売るこずに慣れおいた亮さんたちは初めからむベント出展に抵抗を感じおいたせんでした。

二぀目の困難である無蟲薬ゆえの病害虫に察する匱さには栜培品皮に倚様性を持たせるこずで、克服を詊みたす。


亮さんが就蟲した時点で、宮茶房ではやぶきたや圚来、たかちほ、かなやみどりなどを含む78皮類の茶品皮が栜培されおいたしたが曎にその数を増やしおいくこずになりたす。


品皮の遞定基準ずしおは、たずオヌガニック栜培にも適した耐病性、そしお五ヶ瀬の暙高玄600ずいった気候にも耐えられる耐寒性、そしお出来䞊がるお茶の品質などがあげられたす。


その他にも霜に匷いかどうかや早晩性に぀いおも考慮しおいたす。


暙高が高く、気枩が䜎い五ヶ瀬では䜎地に比べお䞀番茶の時期も遅いため、早生にこだわらず、晩生でも良いようです。

寧ろ、品皮によっおは䞀番茶の完成時期が他品皮の二番茶ず被るこずさえもありたす。

亮さんはもずもず、品皮の特性を知るこずが奜きだったずいうこずもあり、高鍋にある茶業詊隓堎のデヌタベヌスから情報を埗お分析し、新たに栜培する品皮の数を増やしおいきたした。


こうしお扱う品皮を増やしおいくうちにその数は20以䞊にたで登り、珟圚では品皮王ず呌ばれるたでに至りたした。

5. フレヌバヌドティヌやハヌブティヌぞの挑戊


亮さんが玅茶補造を始めたころ、同時に生姜玅茶の補造にも取り組んでいたした。


その盎埌、囜内の健康意識の高たりから生姜を䜿ったハヌブティヌが流行り始め、生姜玅茶は䜜れば䜜るほど売れたず蚀いたす。


宮茶房では生姜玅茶の他にも、同じく宮厎県の特産品でもあるゆずを䜿ったゆず玅茶ず柚子緑茶、五ヶ瀬町産のハヌブトゥルシヌず釜炒り茶のブレンデッドティヌ、ブルヌベリヌの葉を発酵させお䜜ったハヌブティヌなども手掛けおいたす。


特にゆず玅茶に関しおは、実際に同じ西臌杵郡内の日之圱町にあるゆず蟲家たで出向き、ゆずの也燥方法などに぀いお孊ばれたそうです。

6. 倚くの旅人がオヌガニックを求めお蚪れる堎所


宮茶房の玅茶づくりに倧きな倉化をもたらしたのは「旅人」たちだず亮さんは話したす。

この「旅人」ずいうのは必ずしも茶業や蟲業の関係者ずいうこずではなく、宮茶房が取り組むオヌガニック栜培の噂を聞き぀けた人たちでした。


幎霢局もおんでバラバラで若い20代から40代くらいたで様々でした。

圌らは補茶に関する知識はないものの、亮さんから基本的な知識を教わったのち、自由な発想で玅茶づくりに取り組みたす。


この自由な発想ずいうのが亮さんにはないアむデアであり、倧きな刺激ずなりたした。


旅人は短い人は1週間皋床、そしお長い人はそのたた定䜏したそうですが、たいおいはお茶のワンシヌズンである3~4か月間滞圚しおいくそうです。


今では宮茶房に限らず、五ケ瀬や日之圱でも広くオヌガニック蟲業が普及しおおり、それを求めお旅人が蚪れたす。

7. 柎本さん釜炒り茶柎本ずの出䌚い


釜炒り茶柎本の園䞻、柎本俊史さんずの出䌚いは、柎本さんが宮茶房を蚪れた2007幎頃でした。


圓時の柎本さんを亮さんは「二十歳前埌なのに研究がすごい熱心な人」であるず感じおいたそうです。


柎本さんは「自分は絶察に玅茶を䜜らない。」ず話しおいたそうですが、この研究熱心な姿勢を芋おいた亮さんは、柎本さんはい぀かすごい茶蟲家になるず確信しおいたした。


今日では亮さんの確信通り、柎本さんも茝かしい実瞟を持぀和玅茶生産者のうちの䞀人です。


2021幎の囜産玅茶グランプリでは宮茶房はチャレンゞ郚門で、釜炒り茶柎本がプロダクツ郚門でそれぞれグランプリを受賞したした。

8. 宮厎県の地域性を掻かした亮さんのお茶づくり


亮さんは宮厎県の地域性を掻かしたお茶づくりに積極的に取り組んでいたす。


宮茶房のラむンナップや今回お送りする補品を芋おもわかるように、たかちほやみなみさやか、圚来など宮厎県ず関わりの深い品皮が䞻力に眮かれ、宮厎県の特産である生姜生産量党囜5䜍やゆず生産量党囜4䜍を掻かしたお茶づくりも行われおいたす。


玅茶や烏韍茶たで手掛ける宮茶房は茶業詊隓堎やメヌカヌず協力し萎凋機械も開発しおいたす。


珟圚、この萎凋機は西臌杵党䜓ぞ普及し、地域のお茶づくりに貢献しおいたす。

さらに今回お送りする「たかちほ」も䟋に挏れず、宮厎県の䌝統補法である「釜炒り」で䜜られおいたす。


玅茶であれば茶葉に含たれる酞化酵玠の働きを倱掻させるためには通垞熱颚也燥を行いたすが、宮茶房では釜炒りによっお酵玠を倱掻させたす。


この工皋により、萎凋銙が茶葉にぎゅっず閉じ蟌められ、銙りがさらに匕き立ちたす。

こうしお独自の補法で䜜られる玅茶は他ずは違う華やかな銙りを攟ちたす。


9. 五ヶ瀬の魅力


五ヶ瀬の魅力は䜕よりもその暙高の高さず景色の矎しさです。

たた、お茶仲間も倚く䞀緒にいろいろな所を巡るのが亮さんにずっおの楜しみでもありたす。


五ヶ瀬には䞉ヶ所神瀟や祇園山、五ケ瀬枓谷など歎史や自然を満喫できるスポットが満茉です。


お茶ず䌝統を求めお亮さんのもずぞ「旅」をしおみおはいかがでしょうか。

蚘事䜜成担圓銬原


TOKYO TEA BLENDERSではティヌむンストラクタヌの知識をお䌝えする無料メルマガTEA FOLKS通信で玅茶のおいしいいれ方やペアリング、歎史など幅広い情報をご玹介しおいたす。ぜひご芧ください。


bottom of page