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TEA FOLKS9 宮﨑茶房 宮﨑亮さんのご紹介

更新日:2月3日

TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。


2022年1月-2月の第5便では宮崎茶房の「たかちほ」と釜炒り茶柴本の自家育苗「釜紅」をお届けしています。お申し込みはこちらから。

目次

1.宮﨑茶房 「たかちほ」の特徴

2.宮﨑茶房の始まり

3.宮﨑亮さんの就農

4.和紅茶への挑戦と品種王

5.フレーバードティーやハーブティーへの挑戦

6.多くの旅人がオーガニックを求めて訪れる場所

7.柴本さん(釜炒り茶柴本)との出会い

8.宮崎県の地域性を活かした亮さんのお茶づくり

9.五ヶ瀬の魅力


1. 宮﨑茶房 「たかちほ」の特徴

たかちほは旧系統名を宮﨑9号といい、在来種を来歴とします。

宮崎県の茶業試験場で育成され、釜炒り茶用品種として1953年に茶農林11号に登録されました。


その特徴は一般に葉は肉厚で大きく、ハーバルで独特な香気を有していると言われており、大葉種にも似た特徴が見られます。


今回お送りする宮﨑茶房さんの「たかちほ」を使用して作られた紅茶は、冷たくてもしっかりとした甘みとフルーティーさが感じられる一品となっています。

2. 宮﨑茶房の始まり


宮﨑茶房は現園主・宮﨑亮(みやざき あきら)さんのひいおじいさんが宮崎県西臼杵郡の五ヶ瀬町で昭和の初期に創業しました。


この地は高千穂や日之影同様に伝統的に釜炒り緑茶の名産地であり、ひいおじいさんはお茶を種から育て始めたそうです。


初めの頃の製茶工場は他の農家さんたちと共同のものであったそうですが、やがて自らの農園に工場を建て、完全な自家製造を始めます。


創業当初の宮﨑茶房はタバコや牛、シイタケなども栽培する複合農家でした。

お米も少し手掛けていたこともあったようですが、五ヶ瀬のあたりは内陸ということもあり、水が少ないため主力作物となることはなかったようです。


また、現在の社名である「宮﨑茶房」は2007年の株式会社化に伴い変更されたもので、それ以前は「宮﨑製茶」という名前でした。

亮さんのお父さんが園主の頃、宮﨑茶房に大きな転機が訪れます。


亮さんのお父さんが作物をお茶かタバコに絞って一本化しようと考えた時、お父さん自身がタバコ嫌いであったこと、そしてお母さんの強い後押しもあり、お茶栽培に専念することになりました。


さらに、亮さんのご両親は1983年頃から栽培方法を完全にオーガニックへと切り替えます。

当時はお茶に限らずオーガニックに挑戦する農家など殆ど皆無であったこともあり、何より同業の方からの理解も得られにくかったようです。


それでもオーガニックに切り替えたのは、亮さんのお母さんの強い信念があったからです。

これにはお母さんのご友人が農薬事故に遭われたことや、お母さん自身が農薬散布をする際にかぶれてしまうなどの健康被害にあったことが大きな要因となりました。


オーガニックに対する理解が進んでいなかった当時、オーガニックがウリにはならなかったため、新たな商品開発にも積極的に取り組みました。


1998年頃からは和紅茶の製造に乗り出します。

このほかにも烏龍茶やフレーバードティーなどにも挑戦し、そのバリエーションは豊富です。


また、「宮﨑製茶」時代の2001年には正式に有機JASの認定を取得します。


お茶づくりに関して地道な努力を重ね続けた結果、2002年には農林水産祭で「天皇杯」を、翌年は全日本茶品評会で「農林水産大臣賞」、2006年には九州茶品評会で「農林水産大臣賞」、2013年には英国グレーテストアワードで「金賞」を受賞します。


さらには日本茶Awards 2014で「日本茶大賞特別賞」と「プラチナ章」を同時受賞、2016年の全日本茶品評会で二度目の「農林水産大臣賞」、昨年2021年には「日本農業賞」や国産紅茶グランプリのチャレンジ分門でグランプリ受賞など輝かしい実績が挙げられます。

3. 宮﨑亮さんの就農


現園主である亮さんは初めから就農する意思があったわけではないと言います。

高校卒業後は宮崎大学の農学部に進学しますが、当時は卒業後の進路は公務員になるつもりでした。


しかし、実際に大学で学び始めると農業に強い関心が生まれたそうです。

在学時に亮さんが行っていた花の開花実験では与える肥料によって花の開花時期が大きく変わるそうで、このような実験が亮さんを惹きつけ、農業の面白さを改めて発見する機会となりました。


また、学生時代のアルバイト経験から会社勤務は合わず、自営業のほうが向いていると感じていたことも就農の要因となりました。


バブル景気真只中の卒業時、300人以上の同級生がいる中で就農の道を選んだのは宮﨑さん含め2人しかいなかったそうですが、この決断があったからこそ今の宮﨑茶房があり、和紅茶文化の発展につながったのだと言えます。

90年代初めに大学を卒業し、就農すると、亮さんはご両親が始めたばかりのお茶のオーガニック栽培とその営業に努めることになります。


オーガニック栽培をするにあたって、土壌から農薬を抜くことが何よりも大変でした。

しかし、土壌から農薬が抜け、オーガニックに切り替わっても難題はいくつも立ちはだかります。


オーガニックに切り替わるということは、以前よりも当然病害虫に弱くなり、それだけ収穫量も減産します。「隣の畑は綺麗なのに自分の所はボロボロだった。」と亮さんは当時を振り返ります。

これらを克服するために後述する品種王としての道が切り開かれていきます。

また、当時はオーガニック栽培を行っている農家など殆どいなかったため、無農薬では商品の品質も悪くなるという誤解が蔓延していました。


このことで、1990年代には当時最大の取引先だった問屋との契約が切られてしまい、新たな取引先を見つけるために営業に努めることになります。


当時は茶価も高く、作れば売れる時代だったそうなので、如何にオーガニックが理解されていなかったのか想像に難くありません。

新しい営業先としては土産物屋さんや、五ヶ瀬の直売所、米屋、宮崎県内や熊本県内のスーパーマーケットなどがありました。


この時、亮さんは県の壁を感じたと言います。宮崎県内では五ヶ瀬といえばお茶所として知られていますが、隣県熊本では矢部や球磨などの茶産地があるため、五ヶ瀬といっても認知されなかったそうです。


しかし、紅茶や烏龍茶への挑戦やイベント出展なども積極的に行うと、いろいろな所から声がかかるようになっていっていきました。

宮﨑茶房の園主がお父さんの代から亮さんへ正式に引き継がれたのは、亮さんが就農してから15年ほどたってからのことですが、それまでの間もご両親は亮さんの好きなようにやらせてくれていたといい、実質的な園主の役割を果たしていました。


ご両親の方針通り、亮さんは自分の好きなように経営し、就農時には3ヘクタールだった茶園面積も現在では14ヘクタールまで拡張しています。


これはおよそ東京ドーム3個分の広さにあたり、2020年度における個人経営の平均的な茶園面積が日本トップの鹿児島県でも3.6ヘクタールであることを考えると、宮﨑茶房がいかに広いのか理解できると思います。


4. 和紅茶への挑戦と品種王


早期からオーガニック栽培に切り替えたものの、宮﨑茶房の前には多くの困難が立ちはだかっていました。

一つ目の困難は前章で触れたオーガニック栽培に対する周囲の偏見と誤解です。


オーガニックに対する理解がなかった当時、他と同じように釜炒り茶を作っても競争に勝てないため、新たな販路を作り出すために他がやっていないことをやろうと考えた亮さんはテレビ番組で見た烏龍茶のつくり方を参考にして、翌朝自社で烏龍茶作りに励みます。


この時の烏龍茶の出来がかなり良く、その後も継続的に製造することになりました。

また、紅茶も比較的早い段階から作り始めます。そのきっかけは宮崎県に隣接する地域であり伝統的な茶産地でもある熊本・矢部の和紅茶を飲んだ時に「すげえ美味しい」と思ったことだと亮さんは言います。


誰かに直接紅茶づくりを教わったことのない亮さんは、インターネットで得られる情報を参考に、1998年頃から本格的に紅茶づくりにも乗り出し、以後毎年製造しています。

国産の紅茶や烏龍茶を作り始めた頃はまだあまり知られていなかったため、地紅茶サミットや吉田山大茶会、ジャパンティーフェスティバルなどのイベントにも積極的に出展してきました。

五ヶ瀬は標高が高く寒冷な気候であるため、緑茶において最も価格の高くなる一番茶の時期が低地よりも必然的に遅れ、他産地よりも卸価格が低くなりがちです。


そのため、もとから自分たちでお茶を売ることに慣れていた亮さんたちは初めからイベント出展に抵抗を感じていませんでした。

二つ目の困難である無農薬ゆえの病害虫に対する弱さには栽培品種に多様性を持たせることで、克服を試みます。


亮さんが就農した時点で、宮﨑茶房ではやぶきたや在来、たかちほ、かなやみどりなどを含む7,8種類の茶品種が栽培されていましたが更にその数を増やしていくことになります。


品種の選定基準としては、まずオーガニック栽培にも適した耐病性、そして五ヶ瀬の標高約600mといった気候にも耐えられる耐寒性、そして出来上がるお茶の品質などがあげられます。


その他にも霜に強いかどうかや早晩性についても考慮しています。


標高が高く、気温が低い五ヶ瀬では低地に比べて一番茶の時期も遅いため、早生にこだわらず、晩生でも良いようです。

寧ろ、品種によっては一番茶の完成時期が他品種の二番茶と被ることさえもあります。

亮さんはもともと、品種の特性を知ることが好きだったということもあり、高鍋にある茶業試験場のデータベースから情報を得て分析し、新たに栽培する品種の数を増やしていきました。


こうして扱う品種を増やしていくうちにその数は20以上にまで登り、現在では品種王と呼ばれるまでに至りました。

5. フレーバードティーやハーブティーへの挑戦


亮さんが紅茶製造を始めたころ、同時に生姜紅茶の製造にも取り組んでいました。


その直後、国内の健康意識の高まりから生姜を使ったハーブティーが流行り始め、生姜紅茶は作れば作るほど売れたと言います。


宮﨑茶房では生姜紅茶の他にも、同じく宮崎県の特産品でもあるゆずを使ったゆず紅茶と柚子緑茶、五ヶ瀬町産のハーブ(トゥルシー)と釜炒り茶のブレンデッドティー、ブルーベリーの葉を発酵させて作ったハーブティーなども手掛けています。


特にゆず紅茶に関しては、実際に同じ西臼杵郡内の日之影町にあるゆず農家まで出向き、ゆずの乾燥方法などについて学ばれたそうです。

6. 多くの旅人がオーガニックを求めて訪れる場所


宮﨑茶房の紅茶づくりに大きな変化をもたらしたのは「旅人」たちだと亮さんは話します。

この「旅人」というのは必ずしも茶業や農業の関係者ということではなく、宮﨑茶房が取り組むオーガニック栽培の噂を聞きつけた人たちでした。


年齢層もてんでバラバラで若い20代から40代くらいまで様々でした。

彼らは製茶に関する知識はないものの、亮さんから基本的な知識を教わったのち、自由な発想で紅茶づくりに取り組みます。


この自由な発想というのが亮さんにはないアイデアであり、大きな刺激となりました。


旅人は短い人は1週間程度、そして長い人はそのまま定住したそうですが、たいていはお茶のワンシーズンである3~4か月間滞在していくそうです。


今では宮﨑茶房に限らず、五ケ瀬や日之影でも広くオーガニック農業が普及しており、それを求めて旅人が訪れます。

7. 柴本さん(釜炒り茶柴本)との出会い


釜炒り茶柴本の園主、柴本俊史さんとの出会いは、柴本さんが宮﨑茶房を訪れた2007年頃でした。


当時の柴本さんを亮さんは「二十歳前後なのに研究がすごい熱心な人」であると感じていたそうです。


柴本さんは「自分は絶対に紅茶を作らない。」と話していたそうですが、この研究熱心な姿勢を見ていた亮さんは、柴本さんはいつかすごい茶農家になると確信していました。


今日では亮さんの確信通り、柴本さんも輝かしい実績を持つ和紅茶生産者のうちの一人です。


2021年の国産紅茶グランプリでは宮﨑茶房はチャレンジ部門で、釜炒り茶柴本がプロダクツ部門でそれぞれグランプリを受賞しました。

8. 宮崎県の地域性を活かした亮さんのお茶づくり


亮さんは宮崎県の地域性を活かしたお茶づくりに積極的に取り組んでいます。


宮﨑茶房のラインナップや今回お送りする製品を見てもわかるように、たかちほやみなみさやか、在来など宮崎県と関わりの深い品種が主力に置かれ、宮崎県の特産である生姜(生産量:全国5位)やゆず(生産量:全国4位)を活かしたお茶づくりも行われています。


紅茶や烏龍茶まで手掛ける宮﨑茶房は茶業試験場やメーカーと協力し萎凋機械も開発しています。


現在、この萎凋機は西臼杵全体へ普及し、地域のお茶づくりに貢献しています。

さらに今回お送りする「たかちほ」も例に漏れず、宮崎県の伝統製法である「釜炒り」で作られています。


紅茶であれば茶葉に含まれる酸化酵素の働きを失活させるためには通常熱風乾燥を行いますが、宮﨑茶房では釜炒りによって酵素を失活させます。


この工程により、萎凋香が茶葉にぎゅっと閉じ込められ、香りがさらに引き立ちます。

こうして独自の製法で作られる紅茶は他とは違う華やかな香りを放ちます。


9. 五ヶ瀬の魅力


五ヶ瀬の魅力は何よりもその標高の高さと景色の美しさです。

また、お茶仲間も多く一緒にいろいろな所を巡るのが亮さんにとっての楽しみでもあります。


五ヶ瀬には三ヶ所神社や祇園山、五ケ瀬渓谷など歴史や自然を満喫できるスポットが満載です。


お茶と伝統を求めて亮さんのもとへ「旅」をしてみてはいかがでしょうか。

記事作成担当:馬原


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