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TEA FOLKS5 岩永製茶園 門内智子さんのご紹介

更新日:9月12日

TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。


2021年9月-10月の第3便では岩永製茶園の岩永1号とカネロク松本園の燻製紅茶(ウィスキー樽)をお届けしています。お申し込みはこちらから。

目次

  1. 岩永製茶園 2021年岩永一号ファーストの特徴

  2. 岩永製茶園のはじまり

  3. 父親からの静かな応援

  4. 智子さんの和紅茶作り

  5. 父親が選別した二畝だけの在来品種「岩永1号」

  6. 父親の代から変わらない品種茶と在来種の多様性

  7. 品評会での受賞

  8. 取材後記


1.岩永製茶園 2021年岩永1号ファーストの特徴

岩永1号は本文でご紹介するとおり、標高約600メートルの熊本県馬見原にある岩永製茶園で、在来品種から選抜して挿し木して育て、この地に2畝しかない希少な茶葉です。


特に2021年の春は例年よりも暖かく早くに芽がでてきたのですが、4月の冷え込んだ日に霜の被害が発生したため、例年以上に大変希少となっています。


沸騰前の90℃ほどの湯で4-5分ほどじっくりと抽出するのがお勧めです。過去に幾度も受賞歴のある岩永1号ですが、特に2021年のファースト(春摘み)は部屋に香水でも吹きかけたかと思うほど花の香りがわき立ちます。


飲み口はまろやかで渋みが抑えられており、口内に甘みが広がります。茶液が冷めていく中で甘みが増していくのが感じられます。


繊細な味わいですのでストレートで味と香りを楽しんで頂きつつ、和菓子などで合わせるのもお勧めです。



2.岩永製茶園のはじまり

岩永製茶園が所在する熊本県の馬見原(まみはら)は、熊本市と延岡市(宮崎)の中間地点にあり、「ひと儲けしたければ馬見原に行け」と言われたほど、日向往還の宿場町として栄えました。


智子さんの祖父は馬見原で子ども時代を過ごし、大阪にいたこともありましたが、戦後に馬見原に戻ったところから岩永製茶園のストーリーは始まります。


智子さんの父親・博(ひろし)さんは東京で勤めていましたが、祖父から農業をするために馬見原に来るように言われます。


父親は東京農業大学を卒業していましたが、どちらかというと学者気質で、無類の歴史好きでした。


馬見原で農業するにあたり、馬見原は古くから釜炒り茶の産地であり(加藤清正の朝鮮出兵と馬見原の茶に接点があったとされることや、細川藩にも馬見原の茶が献上されていたという記述が残っている事等)、農業するなら釜炒り茶でと近くの地域の釜炒り茶生産者や試験場等々で技術を学び、茶園経営が始まりました。


その後、研鑽を積み、昭和37年(1962年)には農林省の品評会において熊本県で一等賞をとり、さらに昭和46年(1971年)にはついに農林大臣賞まで受賞しています。


熊本県の茶業振興にも熱心に取り組み、釜炒り茶の名手としてよく知られるようになりました。


今では和紅茶の品評会でも多数の賞を受賞する岩永製茶園ですが、しかし、父親は自宅工場で紅茶を製造することには課題を感じていたようです。


3.父親からの静かな応援


智子さんが紅茶作りに興味をもったのは、ある日、海外産の紅茶を飲んでいた時でした。


パッケージには生産国が書かれていますが、異国の地で誰がどこでどういうふうに作り、どういう流通経路をたどって自分の手元に届いているかそこではわかりませんでした。


自園の茶葉であれば安全で安心して飲める紅茶がつくれるのではないか、そう思った智子さんは紅茶作りについて父親に相談します。


父親は自園の茶葉で紅茶をつくることは承諾してくれましたが、自宅工場で作業をすることには難色を示していました。


釜炒り茶の繊細で爽やかな特徴ある香りを大切にしていた父親は、自宅工場の製茶道具で紅茶を製造することで発酵茶の残り香が機械につくのを懸念していたのです。


2012年に亡くなった父親は自宅工場での紅茶作りについては賛同していませんでしたが、後になって、あるファイルが見つかりました。


父親が生前管理していたそのファイルには、日本各地の紅茶作りに関する新聞や雑誌の記事をスクラップしてくれていました。


智子さんには「農業をするのは大変だぞー」と言っていたそうですが、娘が関心を持っていることには応援したい気持ちがあったのでしょう。「やるならきちんと取り組まないといけない」とも言われていたそうです。



4.智子さんの和紅茶作り


父親が存命中から、釜炒り茶研究会等に参加させてもらっていましたが、当時の智子さんはまだまだ経験が浅く試行錯誤の連続でした。


智子さんは父親に紅茶作りを相談した翌年から、自園の茶葉を近くの製茶工場にもっていき紅茶の製造を学び始めます。


父親が亡くなってからも4年間は近くの製茶工場で紅茶作りをしていました。


しかし、製茶工場を借りると、そこまで茶葉を持っていく労力が必要で、さらに、大きな揉捻機の操作など女性の力だけでは大変なこともたくさんあります。


ある時、自宅工場にある小さな揉捻機が使われていないことに気が付き、その揉捻機で茶葉を揉みたいという想いがわいてきました。


岩永製茶園にある道具は昨日まで父親が使っていたかのように生気をおびて整然と並べられています。

父親の時代に最新だった製茶の道具は、機械化が進んだ現代においては年代物のレトロな様相ではあるものの、現役として製茶の時期には活躍してくれています。


父親のお墓参りにいった時、揉捻機を紅茶作りのために使わせてもらうことを報告しました。


いよいよ自宅の機械で和紅茶作りを始めたその年、早くも国産紅茶グランプリのチャレンジ部門で金賞を受賞したのです。出品された茶葉は「岩永1号」と呼んでいる在来品種でした。


5.父親が選別した二畝だけの在来品種「岩永1号」


父親の時代は緑茶品種「やぶきた」が県の農業指導で一気に広がった時代であり、実際にいまでは全国の茶畑の75%がやぶきたと言われています。


しかし、五ヶ瀬川沿いにある標高600mの岩永製茶園の冬は相当に厳しい寒さが訪れます。

父親は自園の茶畑は、冷害や害虫に弱いやぶきた一辺倒にはせず、様々な品種を試していました。


その中でも、馬見原の厳しい環境に根差して生き延びてきた在来品種をよく研究し、特別に選抜されたものを、やぶきたの畑に挟ませるように挿し木して、2畝育てていました。

その在来品種は他と区別するために「岩永1号」と呼ばれています。


父親から在来種の中で芽立ちがよいものだったとは聞いていましたが、他にどのような基準で選抜したのか、今となってはもう聞くこともできません。


智子さんも岩永1号を緑茶にしていた時は、なぜ父親がこの在来種を選んだのか正確にはわかりませんでしたが、茶葉を摘んで萎凋させた時、これまでにはない良い香りがすることに驚いたそうです。



6.父親の代から変わらない品種茶と在来種の多様性


岩永製茶園では、在来品種から選抜された「岩永1号」だけではなく、「やぶきた」、「たまみどり」、「たかちほ」等の品種が少量づつ栽培されています。


さらに、在来品種の中でも樹齢100年越えの茶樹からつくる和紅茶や、芝居小屋(花園座)の跡地にある在来種の茶畑、岩永製茶園から少し離れた山林にある山茶も和紅茶にしています。

馬見原の花園座は現在、建物はありませんが、当時の地元の小学生が茶の実を植えてつくられた茶園です。その茶葉を智子さんが釜炒り茶や和紅茶にしています。


育てられている品種は父親の代から変わっていないそうです。品種ごとの味わいはもちろん、馬見原の風土に自生した在来品種の面白さを楽しめるのが岩永製茶園の魅力です。


7.品評会での受賞


熊本の釜炒り茶研究会でお世話になっていたお茶のカジハラの園主、梶原さんが紅茶づくりに取り組んでいることを知り、次第に和紅茶のことを話題にするようになりました。


梶原さんは中国茶の製法を和紅茶づくりに取り入れる生産者グループに所属し、宮崎県の五ヶ瀬で研修をする機会があったため智子さんにも一緒に来ないかとお誘いがかかります。


そういった勉強会に参加したことがきっかけで、中国や台湾への研修にも参加するようになり、学んだことを紅茶作りに活かすようになりました。


そうして自宅での和紅茶作りを始めた2017年、「岩永1号」が格段に美味しくできたと思い、周りの方に試飲してもらったところ「品評会にだしてみては?」と勧められました。


それが国産紅茶グランプリ2017チャレンジ部門での金賞となり、その後も複数の品種で続々と品評会の受賞を得ています。


・国産紅茶グランプリ2017 チャレンジ部門 金賞

・国産紅茶グランプリ2018 チャレンジ部門 銀賞

・国産紅茶グランプリ2020 チャレンジ部門 銀賞

・ジャパン・ティーフェスティバル プレミアムティーコンテスト2019 三つ星

・ジャパン・ティーフェスティバル プレミアムティーコンテスト2020 五つ星


和紅茶ファンの間で岩永製茶園の名前は一躍有名となりましたが、岩永製茶園としてのホームページがありません。


母親と娘で父親の茶畑を継いで経営している小さな茶園という謎に包まれた情報が、意図せずとも岩永製茶園の茶葉の魅力をさらに高めているのかもしれません。


品評会で高い評価を得ているうえに、ひとつひとつの品種の生産量が少ないこともあり、作られた和紅茶はその年のうちにほぼ売り切れています。


母親と娘で引き継いだ茶畑でつくられる釜炒り茶と和紅茶はこれからも多くのファンを魅了することでしょう。


8.取材後記


母親と娘が父親から継いだ標高600mの茶畑と聞き、”ポツンと一軒家”を想像して取材に向かいました。


確かに、熊本市から馬見原に向かう道中は山道が続きましたが、突如、雰囲気の良い昔ながらの街並みが現れたと思ったら、そちらが馬見原でした。


宿場町として栄えた様子が伝わる品の良い建物が残っています。

智子さんはとても気さくな方で、訪問前には道中で必見の観光スポットや食べもの、有名な神社も教えて頂きました。


熊本市街から馬見原に登る途中にある霊台橋や通潤橋は壮大で、江戸末期に既にこのような技術があったのだと驚かされます。資材をどのように山奥まで運んできたのか、いろいろと想像が膨らみます。

霊台橋(1847年建設)

通潤橋(1854年建設)


九州随一のパワースポットと言われる幣立神宮も馬見原からすぐ近くの場所にあります。

幣立神宮


神宮の奥には東御手洗社に降りる道があります。取材の都合上、私たちは朝7時頃に訪問したのですが、パワースポット、ヒーリングスポットといわれる由縁がヒシヒシと伝わってきました。

まさに神秘で厳かな世界がそこにひろがっていました。

馬見原を訪問する際にはぜひ訪れて頂きたいスポットです。


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