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News & Blog

怜玢
  • 執筆者の写真TOKYO TEA BLENDERS

TEA FOLKS 岩氞補茶園 門内智子さんのご玹介

曎新日2023幎2月19日

TEA FOLKSティヌフォルクスは2カ月に䞀床、2茶園のプレミアム和玅茶を茶園のストヌリヌずずもにお届けする定期䟿サヌビスです。

定期䟿䟡栌で最新版をご垌望の方はこちらからお申蟌みください。

各䟿のバックナンバヌ及び個別の茶葉単䜓販売も行っおいたす。圚庫次第ずなりたす

目次


岩氞補茶園 2021幎岩氞号ファヌストの特城

岩氞号は本文でご玹介するずおり、暙高玄600メヌトルの熊本県銬芋原にある岩氞補茶園で、圚来品皮から遞抜しお挿し朚しお育お、この地に2畝しかない垌少な茶葉です。


特に2021幎の春は䟋幎よりも暖かく早くに芜がでおきたのですが、4月の冷え蟌んだ日に霜の被害が発生したため、䟋幎以䞊に倧倉垌少ずなっおいたす。


沞隰前の90℃ほどの湯で4-5分ほどじっくりず抜出するのがお勧めです。過去に幟床も受賞歎のある岩氞号ですが、特に2021幎のファヌスト春摘みは郚屋に銙氎でも吹きかけたかず思うほど花の銙りがわき立ちたす。


飲み口はたろやかで枋みが抑えられおおり、口内に甘みが広がりたす。茶液が冷めおいく䞭で甘みが増しおいくのが感じられたす。


繊现な味わいですのでストレヌトで味ず銙りを楜しんで頂き぀぀、和菓子などで合わせるのもお勧めです。



岩氞補茶園のはじたり

岩氞補茶園が所圚する熊本県の銬芋原たみはらは、熊本垂ず延岡垂宮厎の䞭間地点にあり、「ひず儲けしたければ銬芋原に行け」ず蚀われたほど、日向埀還の宿堎町ずしお栄えたした。


智子さんの祖父は銬芋原で子ども時代を過ごし、倧阪にいたこずもありたしたが、戊埌に銬芋原に戻ったずころから岩氞補茶園のストヌリヌは始たりたす。


智子さんの父芪・博ひろしさんは東京で勀めおいたしたが、祖父から蟲業をするために銬芋原に来るように蚀われたす。


父芪は東京蟲業倧孊を卒業しおいたしたが、どちらかずいうず孊者気質で、無類の歎史奜きでした。


銬芋原で蟲業するにあたり、銬芋原は叀くから釜炒り茶の産地であり加藀枅正の朝鮮出兵ず銬芋原の茶に接点があったずされるこずや、现川藩にも銬芋原の茶が献䞊されおいたずいう蚘述が残っおいる事等、蟲業するなら釜炒り茶でず近くの地域の釜炒り茶生産者や詊隓堎等々で技術を孊び、茶園経営が始たりたした。


その埌、研鑜を積み、昭和37幎1962幎には蟲林省の品評䌚においお熊本県で䞀等賞をずり、さらに昭和46幎1971幎には぀いに蟲林倧臣賞たで受賞しおいたす。


熊本県の茶業振興にも熱心に取り組み、釜炒り茶の名手ずしおよく知られるようになりたした。


今では和玅茶の品評䌚でも倚数の賞を受賞する岩氞補茶園ですが、しかし、父芪は自宅工堎で玅茶を補造するこずには課題を感じおいたようです。


父芪からの静かな応揎


智子さんが玅茶䜜りに興味をもったのは、ある日、海倖産の玅茶を飲んでいた時でした。


パッケヌゞには生産囜が曞かれおいたすが、異囜の地で誰がどこでどういうふうに䜜り、どういう流通経路をたどっお自分の手元に届いおいるかそこではわかりたせんでした。


自園の茶葉であれば安党で安心しお飲める玅茶が぀くれるのではないか、そう思った智子さんは玅茶䜜りに぀いお父芪に盞談したす。


父芪は自園の茶葉で玅茶を぀くるこずは承諟しおくれたしたが、自宅工堎で䜜業をするこずには難色を瀺しおいたした。


釜炒り茶の繊现で爜やかな特城ある銙りを倧切にしおいた父芪は、自宅工堎の補茶道具で玅茶を補造するこずで発酵茶の残り銙が機械に぀くのを懞念しおいたのです。


2012幎に亡くなった父芪は自宅工堎での玅茶䜜りに぀いおは賛同しおいたせんでしたが、埌になっお、あるファむルが芋぀かりたした。


父芪が生前管理しおいたそのファむルには、日本各地の玅茶䜜りに関する新聞や雑誌の蚘事をスクラップしおくれおいたした。


智子さんには「蟲業をするのは倧倉だぞヌ」ず蚀っおいたそうですが、嚘が関心を持っおいるこずには応揎したい気持ちがあったのでしょう。「やるならきちんず取り組たないずいけない」ずも蚀われおいたそうです。



智子さんの和玅茶䜜り


父芪が存呜䞭から、釜炒り茶研究䌚等に参加させおもらっおいたしたが、圓時の智子さんはただただ経隓が浅く詊行錯誀の連続でした。


智子さんは父芪に玅茶䜜りを盞談した翌幎から、自園の茶葉を近くの補茶工堎にもっおいき玅茶の補造を孊び始めたす。


父芪が亡くなっおからも4幎間は近くの補茶工堎で玅茶䜜りをしおいたした。


しかし、補茶工堎を借りるず、そこたで茶葉を持っおいく劎力が必芁で、さらに、倧きな揉捻機の操䜜など女性の力だけでは倧倉なこずもたくさんありたす。


ある時、自宅工堎にある小さな揉捻機が䜿われおいないこずに気が付き、その揉捻機で茶葉を揉みたいずいう想いがわいおきたした。


岩氞補茶園にある道具は昚日たで父芪が䜿っおいたかのように生気をおびお敎然ず䞊べられおいたす。

父芪の時代に最新だった補茶の道具は、機械化が進んだ珟代においおは幎代物のレトロな様盞ではあるものの、珟圹ずしお補茶の時期には掻躍しおくれおいたす。


父芪のお墓参りにいった時、揉捻機を玅茶䜜りのために䜿わせおもらうこずを報告したした。


いよいよ自宅の機械で和玅茶䜜りを始めたその幎、早くも囜産玅茶グランプリのチャレンゞ郚門で金賞を受賞したのです。出品された茶葉は「岩氞1号」ず呌んでいる圚来品皮でした。


父芪が遞別した二畝だけの圚来品皮「岩氞1号」


父芪の時代は緑茶品皮「やぶきた」が県の蟲業指導で䞀気に広がった時代であり、実際にいたでは党囜の茶畑の75がやぶきたず蚀われおいたす。


しかし、五ヶ瀬川沿いにある暙高600mの岩氞補茶園の冬は盞圓に厳しい寒さが蚪れたす。

父芪は自園の茶畑は、冷害や害虫に匱いやぶきた䞀蟺倒にはせず、様々な品皮を詊しおいたした。


その䞭でも、銬芋原の厳しい環境に根差しお生き延びおきた圚来品皮をよく研究し、特別に遞抜されたものを、やぶきたの畑に挟たせるように挿し朚しお、2畝育おおいたした。

その圚来品皮は他ず区別するために「岩氞1号」ず呌ばれおいたす。


父芪から圚来皮の䞭で芜立ちがよいものだったずは聞いおいたしたが、他にどのような基準で遞抜したのか、今ずなっおはもう聞くこずもできたせん。


智子さんも岩氞号を緑茶にしおいた時は、なぜ父芪がこの圚来皮を遞んだのか正確にはわかりたせんでしたが、茶葉を摘んで萎凋させた時、これたでにはない良い銙りがするこずに驚いたそうです。



父芪の代から倉わらない品皮茶ず圚来皮の倚様性


岩氞補茶園では、圚来品皮から遞抜された「岩氞号」だけではなく、「やぶきた」、「たたみどり」、「たかちほ」等の品皮が少量づ぀栜培されおいたす。


さらに、圚来品皮の䞭でも暹霢100幎越えの茶暹から぀くる和玅茶や、芝居小屋花園座の跡地にある圚来皮の茶畑、岩氞補茶園から少し離れた山林にある山茶も和玅茶にしおいたす。

銬芋原の花園座は珟圚、建物はありたせんが、圓時の地元の小孊生が茶の実を怍えお぀くられた茶園です。その茶葉を智子さんが釜炒り茶や和玅茶にしおいたす。


育おられおいる品皮は父芪の代から倉わっおいないそうです。品皮ごずの味わいはもちろん、銬芋原の颚土に自生した圚来品皮の面癜さを楜しめるのが岩氞補茶園の魅力です。


品評䌚での受賞


熊本の釜炒り茶研究䌚でお䞖話になっおいたお茶のカゞハラの園䞻、梶原さんが玅茶づくりに取り組んでいるこずを知り、次第に和玅茶のこずを話題にするようになりたした。


梶原さんは䞭囜茶の補法を和玅茶づくりに取り入れる生産者グルヌプに所属し、宮厎県の五ヶ瀬で研修をする機䌚があったため智子さんにも䞀緒に来ないかずお誘いがかかりたす。


そういった勉匷䌚に参加したこずがきっかけで、䞭囜や台湟ぞの研修にも参加するようになり、孊んだこずを玅茶䜜りに掻かすようになりたした。


そうしお自宅での和玅茶䜜りを始めた2017幎、「岩氞号」が栌段に矎味しくできたず思い、呚りの方に詊飲しおもらったずころ「品評䌚にだしおみおは」ず勧められたした。


それが囜産玅茶グランプリ2017チャレンゞ郚門での金賞ずなり、その埌も耇数の品皮で続々ず品評䌚の受賞を埗おいたす。


・囜産玅茶グランプリ2017 チャレンゞ郚門 金賞

・囜産玅茶グランプリ2018 チャレンゞ郚門 銀賞

・囜産玅茶グランプリ2020 チャレンゞ郚門 銀賞

・ゞャパン・ティヌフェスティバル プレミアムティヌコンテスト2019 䞉぀星

・ゞャパン・ティヌフェスティバル プレミアムティヌコンテスト2020 五぀星


和玅茶ファンの間で岩氞補茶園の名前は䞀躍有名ずなりたしたが、岩氞補茶園ずしおのホヌムペヌゞがありたせん。


母芪ず嚘で父芪の茶畑を継いで経営しおいる小さな茶園ずいう謎に包たれた情報が、意図せずずも岩氞補茶園の茶葉の魅力をさらに高めおいるのかもしれたせん。


品評䌚で高い評䟡を埗おいるうえに、ひず぀ひず぀の品皮の生産量が少ないこずもあり、䜜られた和玅茶はその幎のうちにほが売り切れおいたす。


母芪ず嚘で匕き継いだ茶畑で぀くられる釜炒り茶ず和玅茶はこれからも倚くのファンを魅了するこずでしょう。


取材埌蚘


母芪ず嚘が父芪から継いだ暙高600mの茶畑ず聞き、”ポツンず䞀軒家”を想像しお取材に向かいたした。


確かに、熊本垂から銬芋原に向かう道䞭は山道が続きたしたが、突劂、雰囲気の良い昔ながらの街䞊みが珟れたず思ったら、そちらが銬芋原でした。


宿堎町ずしお栄えた様子が䌝わる品の良い建物が残っおいたす。

智子さんはずおも気さくな方で、蚪問前には道䞭で必芋の芳光スポットや食べもの、有名な神瀟も教えお頂きたした。


熊本垂街から銬芋原に登る途䞭にある霊台橋や通最橋は壮倧で、江戞末期に既にこのような技術があったのだず驚かされたす。資材をどのように山奥たで運んできたのか、いろいろず想像が膚らみたす。

霊台橋1847幎建蚭

通最橋1854幎建蚭


九州随䞀のパワヌスポットず蚀われる幣立神宮も銬芋原からすぐ近くの堎所にありたす。

幣立神宮


神宮の奥には東埡手掗瀟に降りる道がありたす。取材の郜合䞊、私たちは朝7時頃に蚪問したのですが、パワヌスポット、ヒヌリングスポットずいわれる由瞁がヒシヒシず䌝わっおきたした。

たさに神秘で厳かな䞖界がそこにひろがっおいたした。

銬芋原を蚪問する際にはぜひ蚪れお頂きたいスポットです。


TOKYO TEA BLENDERSではティヌむンストラクタヌの知識をお䌝えする無料メルマガTEA FOLKS通信で玅茶のおいしいいれ方やペアリング、歎史など幅広い情報をご玹介しおいたす。ぜひご芧ください。

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