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News & Blog

  • 執筆者の写真Masayuki Mahara

TEA FOLKS26 株式会社いくみ村 齋藤安彦さんのご紹介

更新日:2023年6月20日

TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。

定期便価格で最新版をご希望の方はこちらからお申込みください。

各便のバックナンバー及び個別の茶葉単体販売も行っています。(在庫次第となります)



1. 株式会社いくみ村「からべに」の特徴




TEA FOLKS 7 でもご紹介した「からべに」は1891年に中国湖北省から導入された中国種の実生群中から選抜されました。

紅茶用品種にはアッサム種系統が多い中で珍しく、中国種系統の紅茶用登録品種になります。

いくみ村の「からべに」は品種の持つカシスを思わせるような芳醇な果実香と、高度な焙煎技術からくる甘い香りが特徴的です。

適度な渋みと収斂味のあるミディアムボディの味わいで、穏やかな甘味も感じられます。

ミルクや三温糖などを加えても、美味しく召し上がっていただけるでしょう。


2. 株式会社いくみ村のはじまり


株式会社いくみ村は静岡県島田市伊久美(旧伊久美村)にあります。


代表を勤める齋藤安彦さんは、学生時代に岩手大学で熱力学を専攻していました。


安彦さんは大学院を修了した後に就農し、1980年代に台湾や中国へ渡ると、現地の製茶法を学びました。


この時に紅茶や烏龍茶だけでなく、黄茶なども含めた六大茶類の製法を身につけました。



実は、台湾の紅茶産業は20世紀前半に藤江勝太郎や新井耕吉郎などの尽力によって発展した歴史的背景があり、安彦さんが台湾に渡った際は現地の台湾人茶農家からかなり歓迎されたといいます。


安彦さんは台湾在住時に現地農家からの歓待を受けて、三井農林の別荘地を訪れたこともあるそうです。


現地を旅しながら一通りの経験を積み、帰国後は日本では周りの茶農家が手をつけていなかった中国式製茶機械を導入しました。



そして1985年から、紅茶と烏龍茶の製造に本格的に乗り出します。


この当時、1971年の紅茶の輸入自由化決定によって国産紅茶の生産農家は減少しており、周囲には殆ど残っていない状況でした。


そのため、安彦さんの挑戦は、「和紅茶」として産業が復興の兆しを見せる90年代より先駆けたものでした。


寧ろこの頃は緑茶の価格が高かったため、敢えて紅茶や烏龍茶に取り組む姿は日本茶農家の異端児のようだったと安彦さんご自身は語っています。


3. 和紅茶産業を裏で支える縁の下の力持ち


台湾や中国で製茶法を学び、日本へ帰国した安彦さんは他に先駆け、早くも1985年から紅茶や烏龍茶の自社製造を開始します。


静岡県北部の中山間地帯に位置する伊久美では、冷涼な気候になることが多く、他の静岡茶産地や九州の茶産地の新茶時期に間に合わせることは、到底敵いません。


そのため、安彦さんは技術を磨き、品質で勝負できるようなお茶づくりを心がけてきたそうです。


安彦さんの作る紅茶は台湾・中国で得た製茶法に則り、渋みが優しく香り豊かなことが特徴的です。


次第に安彦さんの紅茶づくりは評判となり近隣の茶農家に噂が広がると、和紅茶復興の黎明期には、今では有名な生産者の中でも安彦さんの元を尋ねる人がいたといいます。


このように、安彦さんは和紅茶復興の黎明期を築き上げた方々を、陰で支えた縁の下の力持ちでもあったのです。



いくみ村には縁の下の力持ちとして、和紅茶復興黎明期とは異なるもう一つの側面があります。


いくみ村の大きな特徴の一つとして、紅茶の生産量の多さが挙げられます。


いくみ村は伊久美の地に点々と複数の茶畑を所有しており、大きな工場を稼働させて作る紅茶の量は年間600kg以上に至るそうです。


しかし、その多くは地域で販売されるか、関連企業へ卸してしまうために、安彦さんの名前が一般の方の前に出ることは多くありません。


限られた生産量で良いものを作る人は評価されますが、安彦さんのように大量に製造する人はあまり表に出ず、縁の下で支えていることが多いのです。


4. 科学的に計算された焙煎技術と、有効成分「チャフロサイド」の増幅


前章では、齋藤安彦さんの名前が表へ出ることが多くはないことを述べましたが、一部のお茶好きの方の間では、その高度な焙煎技術と、ある効能茶の存在がよく知られています。


安彦さんは学生時代に専攻していた熱力学の観点に基づいて、火入れのタイミングや方法を見極めています。


また安彦さんはご友人から、茶に含まれるポリフェノールの一種であるチャフロサイドについて聞かされた際も、その組織構造から熱の作用によって含有量を増やすことができると判断しました。


実際に試してみると予想通りの結果となり、茶成分中のチャフロサイド含有量を大幅に増加させることに成功しました。


この技術を用いて、いくみ村ではチャフロサイドを多く含有するお茶も取り扱っています。


またこの技術は、大手化粧品メーカーの商品などにも用いられています。



5. 静岡茶伝統製法の取り組み


株式会社いくみ村では有機栽培だけでなく、伝統的な茶草場農法にも取り組んでいます。


茶草場農法とは国連農業食糧機関によって、世界重要農業遺産システムに認定された静岡県の伝統農法です。


この農法では茶畑の畝間にススキやササなどの草を敷き詰めることで、茶樹に栄養を与えたり、特定生物の棲家の確保などを実現し、環境保護や生物多様性の保持に貢献しています。



6. 伝統茶産地としての伊久美村と伊久美茶の発展


静岡県の北部にかつて存在した伊久美村では、16世紀には既に茶業が開かれており、1600年代初頭には近隣の村と共に藤枝の田中藩主に茶年貢を納めていたことを示す記録や領収書などが残っています。


1824年、この地の有力者であり茶の生産販売に従事していた坂本藤四郎は、15歳の頃に試行された株仲間制度が有利に働いたため、伊久美村や近隣に住む茶農家の恨みを買い、到頭訴訟事件の被告にされてしまいました。


それから3年後に下された評定所の判決ではその結果を有耶無耶にされてしまい、「坂本園」の評判が元に戻ることはありませんでした。


そのため藤四郎は、「坂本園」で作る茶の品質向上の具体化を目的として、再度評判をあげることを決意します。


1835年に宇治の製茶組「又兵衛」を伊久美村に招くことに成功すると、この地で宇治製法の伝習を行い、実際に「坂本園」では玉露をはじめ、てん茶、煎茶、刈り茶を製造しました。


この時に作られたお茶は江戸日本橋の山本嘉兵衛に認められました。


その後、伊久美村には宇治製法を踏襲する製茶の伝習所が設けられ、技術の保存と伝播に貢献しました。


また明治期に入ると茶の輸出が盛んになり、茶産業が伊久美村を支えました。


当時の隆盛の面影として、為替銀行の建物などが今もこの地に残されています。


伊久美周辺を訪れる際には是非、お茶と歴史の余情をお楽しみください。



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